比較

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『そもそも比較するものなどない』

裁かない臨床教育。

口で言うのは易しいが、実践しようとするとなかなか難しい。

そもそもの話をすれば、学生さんをバイザーの認識のみで裁く指導をしている奴はイカン!

と僕が言えば、裁く指導者を裁いている。

と言っても、個人の考えを抑圧し、言葉を封じる。

そんな裁く指導をしているバイザーを善しとする人はいないだろうけどね。

いずれにせよ、ちょっとしたことでも、裁いているのではないか?

と考えるようになった。

さて、その最たるもので、僕自身も勝手に思い込んでいて、いまだに知らず知らずに裁いていることがある。

理学療法士と作業療法士……

コレだ。

作業療法士の理学療法士化であるとか、作業療法士が機能訓練をしてどうするのとか、車に例えるなら理学療法士はエンジンで作業療法士はカーオーディオだろうとか。

(ちなみに、最後の車の例えは、過去の学生さんが別な実習地で理学療法士に言われ泣きたくなったと報告してくれた実話)

比較しまくっている。

僕も少なからず、思ってしまう。

過去僕自身もコンプレックスに思っていたから。

でも、そもそも比較するものではない。

比較する必要すらないのが、理学療法士と作業療法士だ。

どちらが優れているとかではなく、役割が違うだけ。

山根先生の言葉を少し借りて言えば、重力ある地球上で人が生きる限り、自分の身体を支える機能を保ち改善するのが理学療法士の仕事であり、作業療法士は病の如何にかかわらずその人の生き方の選択肢を広げるのが仕事だ。

山根先生とメールをやり取りさせていただくなか、そんな基本的なことすら忘れて、裁くことに囚われていた自分に気づかせていただいた。

裁かない臨床教育は「比較しない」、「優劣をつけない」

役割が違うのだから、そもそも何を言われたとしても、自らのアイデンティティーが侵されるわけではない。

目安として、できる、できないはハッキリする。

でも、それは現実。

客観的な事実なら、事実として受け止める。

これは、バイザーの教育だけではなく、学生への教育も重要になりそうだ。

「客観的な事実を伝えただけで泣かれる」と困惑する教員やバイザーの相談を何度もうけた。

事実を伝えることに、何の感情も含まれていない。

それでも、人格否定されたと思ってしまうそうだ。

色々な要素はあるだろうが、個別対応と風土改善。

並行していくことで、解決できると僕は考えている。

そこで、個別対応力向上で臨床実習関連の話題を伝え、風土改善のためにマネジメントを提案してきた。

僕ができることはコレだ。

すぐには結果が出ない。

それでも、ひとが生きる手助けをする療法士になりたい、なっていく若手達に、今療法士をしている僕らから渡せるものって、裁かない臨床教育なんじゃないかな?

まあ、正直いって、けっこう大変。

立ち止まりたくなるけど、不安になっている暇はない。

一人でも多くの療法士に種を蒔く。

改めて、裁かない臨床教育にCHANGEしていく。

その実現に向けて、歩くのをやめない。

歩き続けて、背中みんなにをみせて、進むとしますか。

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ABOUTこの記事をかいた人

Makoto Saito

作業療法塾塾長、サイトーゼミ主催、IAIRグランドマネジャー! 精神科作業療法士として13年臨床経験を重ねたのち、起業。臨床教育を共育にCHANGEするというビジョンのものと、療法士の育成に人生の全てを懸けている。 また、サイトーゼミとして、臨床指導者や管理職向けの講義、コーチングも行っている。